Lomoレンズを通してみた、シベリア冒険記

2

昨年の夏、私の家に一本の電話があった。それは遠く離れた神秘の地、シベリアへの誘いだった。若い冒険者たちが中央ヨーロッパを出発しシベリアのMan Yckweという小さな村を目指す、交通手段もあまり満足ではないその旅に参加しないかと言うのだ。そして私はかなたの楽園、シベリアに恋をし、そこに生きる人たちに魅了される事になるのである。

旅は遠く離れたモスクワの空港に到着したところから始まった。そこで私たちは鉄道に乗り換えた。陸路でシベリアを目指す時、一年を通して利用できる交通手段は、シベリア鉄道しか無い。シベリアでは基本的に厳しい冬が7ヶ月続き、一部は大量の氷と雪で完全におおわれてしまう。春と秋は一ヶ月ずつ、愛すべき夏は3ヶ月だ。これらが全て交通に影響する。夏の間、大地は湿地帯になり道路は不安定で、鉄道路線から外れた場所に辿り着くにはヘリコプターで行く必要がある。一方冬は、湿地が全て凍りつく為、四駆のSUVを手に入れればなんとか凍土を行くことができる。極寒の地でよく見られる冬だけの道路だ。

ロシアの鉄道は旅をとことん楽しむには理想的だ。列車はいつも時間通りに進む。その理由はすっっっっっっっごく余裕のあるスケジュールの為である。2時間おきに停車し、プラットフォームでは老婦人がパンケーキやその土地の野菜を売っている。仲良くなったスプートニク達との交信を楽しみ、きりっと澄んだウォッカを1,2杯楽しむのに十分な時間がある。鉄道の旅はシベリアの人々の生活に触れることが出来るだろう。

季節は夏だったので私たちはヘリコプターをチャーターして、まずサランパウリへ向かった。サランパウリは小さい街だがこの自治管区の首都である。そこからスピードボート2台で目的地、Man Yckweへ向かった。そこには、木造の家が4軒、野生の馬が5頭と、あとは森林があるだけだった。一匹くらい熊がいただろうと思うが、幸い出会う事は無かった。自分たちがロシアの中心、シベリアの中心、どことも知れないどこかの中心にいるのを感じた。

この旅の主な目的は「ハンティ」、「マンシ」と呼ばれる現地に住むウゴル系遊牧民の文化保護を目的としたユースキャンプだった。彼らは何世紀も前からこの広大な土地に住み、古くはトナカイの飼育、狩猟、捕獲を生業としていた。更に奥地ではいまだにそうして生活する者達もいる。だが大部分の者達は街で暮らしていた。ソビエト連邦からの圧迫と狩猟生活の衰退は、彼らに大きなアイデンティティの喪失をもたらした。頑固な男たちにとってこれは大きな問題だった。女たちは今まで通り自分の子を抱き、家族を守る事をつらぬく一方で、男たちはもう何をしたら良いのかわからなくなっていた。社会と職に対する将来性を見失い、酒を飲み、彼らの未来は更に暗くなっていた。

自尊心は低下し自殺率が急激に上昇していた。いまや多くのハンティ、マンシの女性は、ロシア人男性の方がより堅実で魅力的だと感じている。男たちは自分の生き方を曲げないと結婚も出来ないのだ。それは結局彼らの文化の終わりを早めることになるのかもしれない。

全体的にこのキャンプは、やや改良する余地はあるものの、非常に興味深いものだった。このキャンプで10才から20才の少年たちは、戦闘の技と神聖な儀式まで含む伝統を学ぶ。そしてトレーニングの後、2日間の模擬訓練を行う。二手に分かれて名誉と彼らのプリンセスのために戦うのだ。このおとぎ話のような訓練は、部族の文化的アイデンティティの向上と、彼ら一人ひとりの自信を取り戻す為にとても重要なものと考えられていた。女の子も勿論戦士の妻を演じる。彼女達は衣装を自分で作った。その衣装は実に素晴らしく彼らがロールプレイの役割を心から演じるのに一役買うのだった。そのキャンプで私も写真撮影についてのワークショップを行った。

よそ者の私にとってその訓練は貴重な経験であり、演じている様は風変わりに見えるが壮大な訓練だった。私は喜んで戦士達のナイスショットを次々に撮影した。彼らは森の中に小さな要塞を建てそれを征服し合う。西側の人々は建築する事に非常に優れていた。多数の男達が森に入っていき、木を切り、その木で正確に家を建てはじめるその一連は目を見張る光景だった。私は地元の人たちの並外れた能力に深く感嘆した。私には理論はわかるが実践するのはとうてい無理だろう。

私はロシア語を少しだが話せたのでドイツ人と地元民の間に入って通訳を引き受けた。それは非常に楽しかったが、最終的に大切なのは言葉ではなく彼らの魂を伝えることだ。たびたび話はロシア人の心の深い部分に言及した。あなたがもし彼らと親しくなっても、それはシベリアの複雑に混じり合った謎の表面に少し触れただけで、謎は更に深まったと感じるだろう。異文化間で育った人が出会った時、当然だが体と心は完全にはシンクロしない。しかし自分自身でその地へおもむき彼らを感じることが経験というものだ。

おそらく保護されなければ将来失われてゆくだろう、昔ながらの衣装を身につけたお年寄りの女性が、その子孫達に語る様子は非常に清々しいものだった。それは繋がったひとつの輪であった。我々が向かう場所は、我々が出発した場所だった。私たちが何者であるのか考えるにはどこか遠く離れた地へ行くのが良いと思った。

10日間のキャンプの後、私たちはガスプロム社のヘリコプターに乗り込んだ。それは辛い別れで、私はもう一度Man Yckweに戻りたい思いでいっぱいだった。新しく出来た私の友人は近いうち、まさにこの場所に彼の家を建てるという。今度は冬に、芯から凍える足に大きなブーツを履き、門の前に2メートルの雪が積もった彼の家をたずねるのも素晴らしい考えに思えた。

帰りの道中、ハンティ・マンシースクという、現地の文化から名付けられたこの区域で最も大きな街にも短期間滞在した。これは実に小さな村だったが石油産業の成長により、ま新しいビルと輝くような白い教会を持つ街になっていた。ここで私は地元のテレビ局の取材を受けた。遠く離れたシベリアで朝の番組に出演することはとても面白かった。

最後に私たちはモスクワに着いた。そして世界で一番大きなこの国を驚きを持って観察した。ロシアには何百万の住人を持つ都市がいくつもある。そして何百万エーカーの、ごくわずかな住民しかいない土地もある。それらはすべて繋がっている。同じ世界のものなのだ。

ここで語った話とこれらの写真は、とても印象深かったこの3週間からの初めから終わりまでをほんのすこし抜粋したに過ぎない。いつの日か近いうちに焚き火のそはで互いにウォッカでも飲みながらあなたに語りたい話がまだまた沢山ある。 

written by wil6ka on 2011-10-25 #lifestyle #travel #train #summer #adventure #russia #journey #siberia #indians #manty #xanty
translated by mizugoji

2 Comments

  1. wil6ka
    wil6ka ·

    beautiful translation @mizugoji :)

  2. tame
    tame ·

    love this article and photo!

More Interesting Articles